「誰が悪い」とかじゃなくて、自分がどんな社会の中で生きたいかを問い直そうよ。映画『みんなの学校』

「あいつがいるから、この会社がダメなんだ。」

「あの子がいなければ、もっと楽しいのに。」

そんなふうに思っちゃうことあります。

ぼくもあります。

「あの人がいるから、地域がよくならないんだ。」とか「あの組織がもっと、がんばらなきゃ地域がよくならない」とか。

地域おこし協力隊やってて、そう思う時あります。

「自分はちゃんとやってる。自分のせいじゃない。」って思うこともあります。

でも、もし、逆に自分がそう思われてたらどうでしょう?

確かに実際、誰かのせいなのかもしれない。

でも、「誰が悪い」とか「自分のせいじゃない」とか。

みんながそう思ってる社会の中で生きたいのかって言われたら、そうじゃない。

ぼくが困っている時に「自分の問題じゃないから…」って言われたいのか?

そんな社会の中で生きたいのか?

そうじゃない。

『みんなの学校』プレ上映やりました。

『みんなの学校』というドキュメンタリー映画の上映会を今週末にやります。

今日はそのスタッフ向けのプレ上映。

正直、発達障害とか特別支援とか不登校とか、教育・福祉関係のいわゆる「ためになる」映画だと思ってました。

もしくは「お涙ちょうだい」ストーリーかと思ってました。

間違ってたわー。ぼく全然勘違いしてたわー。

『この子さえいなければ、私はいい学校がつくれるのに』から始まった大空小学校

青空小学校の校長・木村泰子先生はこう語ります。

「最初にこの小学校ができて、私が校長になった一番最初。ある子が転校してきたんです。その子は教室中、学校中をいつも走り回ってた。」

「そのとき私はこう思ったんです。『この子さえいなければ、私はいい学校がつくれるのに』と。」

いい学校ってなんだろう?

いい地域ってなんだろう?

いい社会ってなんだろう?

困った子がいない学校がいい学校なのか?

やっかいな人がいない地域がいい地域なのか?

悪い人がいない社会がいい社会なのか?

「あいつのせいで自分は勉強できない」のか?

大空小学校では特別教育の対象になる子や、学校を出て行ってしまう子も、みんな一緒の教室で学びます。

もちろん、授業についていけなくて勝手に席をはなれてしまう子や大声を出しちゃう子もいるわけです。

確かに、勉強するには適した環境ではないのかもしれない。

勉強したい子にとって、そんな子たちはやっかいな存在なのかもしれない。

でも大空小学校では「あいつのせいで、自分が勉強できない。」とは言わない。

「その子も一緒に勉強できるようにするために、どうしたらいいのか?自分に何ができるのか?」を必死で考える。

そう、「クラスの困った子」を「自分たちの課題」として考えてるんです。

「誰が悪い」じゃなくて「自分たちの課題」と思える社会に生きたい

どの学校にも困った子はいる。

どの地域にも厄介な人はいる。

どの社会にも悪い人はいる。

ぼくが言いたいのは、じゃそれをどうすんのか?とか、

「自分たちの課題」だと思わなきゃダメだよ!って話ではなくてですね!!

それを「その人のせい」にする社会と

「同じ社会に暮らす自分たちの課題」と考える社会。

みんなはどっちの社会で生きたいかっていう話。

おわりに

ぼくは「誰が悪い」とか言い合う社会じゃなくて「それは自分たちの課題」だと思える社会に生きたい。

そんな地域で生きたい。

じゃあ、いま暮らしている川根をそんな地域にするためには。

自分はどっちの人間であるべきかってことを考えなきゃだな!

【参考サイト】

(11/20)「みんなの学校」上映会 開催!

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