[書評]為末大「諦める力」。ぼくにとって「がんばる」っていうのは「逃げ」の選択肢だった。

うちの家系は「外面よし」。

ムラマツリョータローリョータロー(@ryotaromm)です!

ぼくはなんだかんだで「がんばっちゃう」タイプです。

自分のキャパを超えても、ついつい「がんばっちゃう」んです。

ぼくが「うつ」になって「適応障害」という診断をうけることになったのも、そんな性格のせいだったりするのかな?とおもいます。

そんなぼくに必要なのは「諦める」こと。

陸上世界選手権で日本人ではじめてトラック競技でメダリストとなった為末大さんの「諦める力」を読みました!


「諦める」というのは「逃げ」ではない

▼為末さんはまず本の冒頭で「諦める」ということをこんな風に捉えています。

「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」

諦めるということはそこで「終わる」とか「逃げる」ということではない。

「諦める」という言葉にはネガティブな印象しかないんですが、ぼくにとっても諦めるというのは「逃げ」ではありません。

ぼくは今ままで「がんばる」という「逃げ」の選択肢を積み重ねていたんです。

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がんばって周囲の期待に応えることが「楽」だった

なぜ「がんばる」という選択をしてきたのか?

それはたぶん周りの人の期待っていうのが大きかったのかもしれません。

▼ぼくも「諦める」ことで周囲の期待を断ち切ってしまうより、周囲の期待に応えることで、手っ取り早く評価を得ていたんです。

”僕は、決断を引き延ばすことと、周囲との関係を断ち切れないことは関係していると思っている。ある意味で、諦めることは周囲との関係性をいったん断ち切ることにほかならないからだ。関係性を断ち切れば、それまで周囲から受けていたポジティブな評価もすべて切り捨てることになる。これはけっこうつらい。でも、諦めることは周囲から気にかけてもらえない状態に平気になるということでもある。人にかまってもらえないのは寂しいけれども、どこか気持ちがいいところもある。そのくらいの覚悟を持つことだ。”

▼結果としてぼくは、価値観のモノサシを周りの人に委ねて生きてきたわけです。

”多くの日本人は、あまりにも人から選ばれようとしすぎてはいないか。人に受け入れてほしいと思いすぎていないか。人から選ばれようとすることは、誰かが設定したランキングからずっと抜け出せないことを意味する。他者評価を求めすぎることは、権威のあるランキングに振り回されることになる。自分なりのランキングを持つということは、他者評価自体を客観的に見ることにほかならない。”

人生の主導権を人に任せて「楽」をしてきたんです。

「やること」を決めたら、「やらない」ことも決める

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地域おこし協力隊になって地域の皆さんに色々と声をかけてもらって馳せ参じることが増えました(笑)

「断らずなんでもやれ」、「どんなところにも顔を出せ」。

地域おこし協力隊の研修でも言われてますし、地域の人たちからも言われてます。

でも最近ちょっと限界を感じ始めてます。「全部はムリ」って。

ぼくにとって「エンプティー」は深刻

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そろそろ諦めたり、断ったりしないと「うつ」の時代に逆戻りしそうな感じがしてヒヤヒヤしています。

▼ぼくは全部のフィールドで勝とうとしてしまう「負けず嫌い」です。あれもこれもやりすぎていつのまにか「エンプティーランプ」が点灯…。

”人間には変えられないことのほうが多い。だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要なのだ。僕は、これが戦略だと思っている。戦略とは、トレードオフである。つまり、諦めとセットで考えるべきものだ。だめなものはだめ、無理なものは無理。そう認めたうえで、自分の強い部分をどのように生かして勝つかということを見極める。”

気力のメーターが0になると、「なにもやる気がしない」モードに布団から出られなくなっちゃうので、燃料切れのランプが点く前に気づかないと後々大変に。

向き不向きってあるよね

気力体力的な限界に加えて、向き不向きというのもあります。

▼不向きだったり興味がないことを無理やりがんばっても大した成果にならないし、楽しくないんです。

”極端なことをいえば、勝ちたいから努力をするよりも、さしたる努力をすることなく勝ってしまうフィールドを探すほうが、間違いなく勝率は上がる。 「だって、僕がこの分野に行けば有利なんだよね」そこから考えることが戦略だ。孫子は「戦わずして勝つ」ことを善としている。勝つためには、最初から負けるフィールドを選ばないことが重要なのだ。最高の戦略は努力が娯楽化することである。そこには苦しみやつらさという感覚はなく、純粋な楽しさがある。苦しくなければ成長できないなんてことはない。人生は楽しんでいい、そして楽しみながら成長すること自体が成功への近道なのだ。”

とくに不向きな分野でがんばってしまうと燃料切れも早くなります。燃費悪くなるイメージ。

地域おこし協力隊を「諦める」という選択肢も実はある。

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小林市の協力隊をやっている「繋ぎ屋」さんでそんな記事を読んでから、「辞める」選択肢を意識した上で「続ける」ということも意識するようになりました。

生きるか死ぬか?地域おこし協力隊を辞めるという選択肢|繋ぎ屋|note

たぶんぼくは「これしかない!」と思い始めたらあっというまにいっぱいいっぱいになっちゃうので。

▼今は地域おこし協力隊をやってますが、協力隊を「辞める」という選択肢もいつも持ち続けていたいと思ってます。

”「別の方向に進める可能性もあるが、あえて今はアスリートをやっている」人は、いい加減な気持ちでやっているわけではなく、ある意味で肩の力が抜けている。勝つために全力を尽くすが、負けたからといって精神的に行き詰まらない。オプションを持って「あえて」という感覚で取り組むことの強さはそこにあるような気がする。”

▼ぼくにとって「地域おこし協力隊」は手段のひとつ。協力隊で成功することにはこだわってません。問題は「その先」なので。

”どこまで引いて俯瞰で考えるか。どこまで大きく勝ち負けをとらえるか。このことによって、日常の勝ち負けの基準も変わってくる。そう考えると「どこで勝つか」より「何が勝ちか」をはっきりさせておくことが、自分が本当に勝ちたいフィールドでの勝利につながるのだ。”

地域おこし協力隊はどうがんばったところで最大任期は3年間。

ぼくの場合は「勝ちたいフィールド」は3年後の起業・独立

なので3年間の地域おこし協力隊に全力投球してしまうと、そのあと勝負できなくなっちゃうんです。

そんなことをしたら、きっと真っ白な灰になっていることでしょう(笑)。

おわりに

ぼくにとって「諦める」ことや断ることってすごく怖いことなんです。

「相手を失望させてしまわないか?」「今後の可能性をつぶしてしまうんじゃないか?」

だから「がんばる」という楽な道を選んでしまうです。

でも最近ちょっとずつ「諦める」こともできるようになってきました。

思い切って「諦める」となんだかスッキリした気分になれるんです。

もちろんこの先ヤイヤイ文句言ってくる人も出てくるんでしょうけど、「所詮はその程度の人間関係だったんだ」と割り切ることにします。

まだまだトレーニング不足でいちいち真に受けてしまったりするんですが…。

文句言いたい人は、ぼくのメンタルトレーニングに付き合ってください(笑)

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