おいしい川根茶を飲みたいと言うより、飲ませて「うまい」と言わせたい。「情緒性飲料」としての緑茶。

旅先でおいしいお茶が飲みたい!

そう思って出張するときには川根茶を持っていくようにしています。

先月も2泊3日の千葉でおこなわれた地域おこし協力隊の研修中に川根茶の茶葉を持って行ったのですが、そこで気づいたんです。

ぼくは自分がおいしいお茶を飲みたいというより、だれかに飲ませて「うまい」と言わせたいんだな、と。

「機能性飲料」ではなく「情緒性飲料」としてのお茶

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日本茶をのむと長寿になるとかダイエットになるとか。

そんな「健康にいい」という「機能」に注目されがちだったり、宣伝されたりしています。

いわゆる「機能性飲料」。

こんなこと言うといろんな人から怒られるかもしれませんが、ぼくはあんまり「お茶が健康にいい」ってことをオススメしません。

たぶん緑茶より健康にいい食べ物ってたくさんあると思うんで(笑)

栄養価だけでいったら野菜のほうがいいと思うし(笑)

静岡県立大学の岩崎邦彦さんは緑茶を「機能性飲料」ではなく「情緒性飲料」としています。

「茶の間」にあるのは、おいしいお茶だけじゃない。

「茶の間」それはお茶をかこんだ空間。

お茶をかこんで、ただ、ゆっくりする。

楽しくおしゃべりしよう、とか、お茶のウンチクをかたろう、とか。

そういうのは全部おいといて、ただ、ゆっくりする。

おいしいお茶が飲めることより、「茶の間」にはもっと大事なことがあるんです。

お茶を淹れるときにいつも思うこと。

誰かのためにお茶を淹れたあとに毎回おもうこと。

「今日はうまいことおもてなしできたかな?」

「もっとおもてなしがうまくなりたい。」

たぶんぼくは「お茶」を通して誰かによろこんで欲しいのかもしれません。

たぶんそれがぼくにとっての「お茶」。

「おもてなし」の精神をお茶を通して伝える。

ぼくはお茶は「情緒性飲料」ってだけじゃないんじゃないかと思ってます。

ぼくが川根茶を人に勧めるのは、そのお茶を囲んだ雰囲気だったり、お茶を淹れるという行為そのものをみんなで楽しむためだったりします。

単純に自分がリラックスするだけじゃなくて、相手やその「場」に対して、なにか提供したいと思う気持ちがあります。

ぼくは、なにかこう「交流」というか「コミュニケーション」というか、おもてなしみたいに「思いやり」を媒介する機能が緑茶にはあるんじゃないかと思ってます。

ほんとうはお茶っ葉おくるだけじゃなくて、自ら持って行って気に入っている茶器でお茶を淹れたいんです(笑)

「お茶を売り歩く人」じゃなくて「お茶を淹れて歩く人」になろうかな。

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小さいちゃぶ台を担いで、お気に入りの茶器とお茶っ葉をなん種類かトランクにつめこんで、「お茶を淹れて歩く人」になりたいと思うこのごろです。

たぶんぼくは茶葉を売ることよりも、誰かのためにお茶を淹れたい人間だとおもうんです。

▼旅先に携帯できる急須や茶器をさがしています。

▼あとは、持ち運べるちゃぶ台が欲しいです。

おわりに

世の中には2種類の人間がいます。

「お茶を飲む人間」と「誰かのためにお茶を淹れる人間」。

たぶんぼくは後者です。

ちなみに。

ぼくと一緒にお茶を飲んだ人は勝手に「茶のみ友だち」にさせてもらってますので(笑)