地域おこしは「誰のため」にやるのか?

学生さんからこんな質問をもらいました。

「誰のため」にこの仕事をしているのか?

ここでハッキリ言いましょう。

ぼくは地域おこし協力隊を「自分のため」にやってます。

地域おこしは「自分のため」!?

地域おこし協力隊なんて立派な肩書きの仕事をしていると、「地域のため」という表現がついて回ります。ですが、地域活動の考え方は今はもう少し進んでいて、現在は活動に参加する人も幸せになることが求められています。一般的に連想される無償のボランティアとか地域貢献というのとはちょっと変わってきてるんです。

もちろん地域のためになるんだけど、実は参加した本人のためでもあるというのが今の地域活動のあり方です。

つまり「自分のため」。

自分というのは地域の一人ひとりのことを指します。個人の幸せだけが先行するのではなく、地域にとってもプラスになる、という地域にとっても参加者にとってもwin-winになるような感じですね。

地域の一人ひとりが幸せになっていけば地域もよくなるんじゃないか、みたいな考え方です。

「自分にできる範囲」が地域活動の持続可能性を生む

地域活動をする上で「地域のため」かつ「自分のため」の活動であることが重要だと書きました。(自己満足とは違うので注意が必要ですが)

さらにもう一点、見落としがちなのが「自分ができる」範囲の活動であるということです。

地域活動ってやってみると、意外と労力や予算などが予想の範囲におさまらなくなってしまうものです。

「無理のないどころ」か「頑張らない」くらいの予想を立てておくくらいがちょうどいい。

「やれそう」より「ラクそう」くらいの感じです。

地域活動ってほんとに何が起こるかわからないので、労力や予算はかなり余裕をもっておくべきだと、毎回のように反省します(笑) 実際に余力があまってしまったり、「物足りない」くらいがちょうどよくて、それが「もう一回やってみるか!」という気持ちにさせてくれます。

この繰り返しが持続可能性(笑)

地域活動を持続可能にする3つのポイント

「地域のため」

「自分のため」

「自分にできること」

この3つの要素が地域活動を持続するために必要なポイントです。

自分たちの無理のない範囲で活動に参加して、一人ひとりの幸せが満たされることで地域全体の活力も上がってくる。

これが現在の、そしてこれからの地域活動の姿なのかな、って思ってます。とゆうか従来のような、地域のために犠牲を払って身を切るような地域活動は自然と淘汰されていくことになると思います。

ぼくががんがえたさいきょうの地域活動は「楽しそう」であること

ぼくは地域の活動を企画する場合、それを見た人に「素晴らしい活動ですね。」と言われるような企画はボツにします。

「なんだか楽しそうですね。」と言われる企画が最高。

なぜなら、「素晴らしい活動」という言葉は、裏を返せば「すごいけど私にはできない」という反応だからです。それに対して「楽しそうな活動」と言う言葉には「一緒にやってみたい。自分にもできるんじゃないか。」と言う参加意志があります。

すばらしいと評価されて遠くて見守られるよりは、一緒にやってみたい、と思ってもらうのが1番嬉しい。

そういう意味では地域活動は「あなたのため」にもなります。ひとりひとりが「自分のための」の地域活動を見つけられたら、この地域がもっとハッピーになる感じします。

(語彙がバカっぽい)

ぼくは地域おこし協力隊の仕事を自分のためにやってます

この、「自分のための地域活動」というのは地域おこし協力隊であるぼくにも当てはまります。

地域おこし協力隊という仕事は地域のためであると同時に自分のためでもあると言えます。

自分のための仕事が地域を活性化すると言うのが地域おこし協力隊の理想の姿だと思っています。

例えば、地域のためと言う意識が強すぎて、自分にとって苦痛な仕事を続けるのはツラい。一方で、自分がやりたい事が前面に出すぎると本来、公金使って活動をしている地域おこし協力隊の本質からは外れてしまいます。さらに加えると、地域のためであっても自分のためであっても、手に余るような大きな仕事は続けることが難しくなってしまいます。

地域のため、自分のため、そして自分ができる範囲の事、この3つのバランスがうまく取れるような活動を作っていくことは地域おこし協力隊にとっても大事なことなんです。

地域おこし協力隊である僕にとって、今の仕事は「自分のため」にもなっています。

おわりに

偉そうなこと書きました。

まじで。

地域おこし協力隊3年やっても、まだまだ3つのバランスがうまくとれないでいます。

自分自身への反省、自戒の意味でこの記事を書きました(笑)

ちなみにぼくは「地域のため」という表現は、最近はあんまり使いません。

相手の顔がわかる「誰かのため」に地域おこししたくなってきたので。