ぼくは3年間知的障害者のための施設に勤めていました。
そこで生活する人たちは知的障害と自閉症をあわせもった人が多かったです。
自閉症のメル友もいます。
自閉症を持つ著者東出直樹さんはいくつか本を出されています。
これはその書かれた本のひとつです。
自閉症の東出直樹さんはどうやって執筆しているのだろう
本の中で東出さんを取材したときの様子がコラムとして描かれいます。
僕は、まるで壊れたロボットの中にいて、操縦に困っている人のようなのです。おわり。
それを見る限りでは、東出さんがこんな文章を書くなんてだれが想像できるでしょう?
きっと書いている間も他のものに気を取られたり、じっくり書くのは大変そうですね。
東出さんの執筆の様子はわかりませんが、文章を最初から流れで書いていくというよりは、キーワードの羅列から始まって、ちょっとずつ文章へと肉付けしていっているのではないかと思います。
「ことばをつむぐ」という表現がぴったり
そんな東出さんの文章を読むと「ことばをつむぐ」という表現がぴったりです。
断片だったことばを少しずつ集めてより合わせて文章にしていったようです。
最初から順番通りに書かれた文章とは違った雰囲気を味わえます。
「この本を読んで自閉症を知ってほしい」なんて思わない
東出さんは自らを「作家」と言っています。
「障害者」、「当事者」ではありません。
東出さんはこう言っています。
「自閉症を理解してください」と言われても、多くの方は戸惑われるような気がします。自閉症が何かわからないというより、その人たちにどうしてあげたいのか、自分の心が見えないからでしょう。
…中略…
それでも、自閉症を知ってもらうことで生きやすくなると思うのは、僕を見るみんなのまなざしが、変わってくるからです。
この本を読んでも自閉症の人とどんなふうに接したらいいかはわからないと思います。
自閉症の理解のために参考にはなるかもしれませんが、この本は「東出直樹」を知るための本です。
自閉症という障害を知らない人にも、そういった視点で読んでほしいです。
適応障害のぼくの抜き書き
弱さを自覚するのは、強くなるためではありません。「助けてほしい」というメッセージを、人に伝えるためだと考えています。
昔の僕は、出口のない真っ暗なトンネルの中にいるようでした。どんなに困っていたか、悩んでいたか、誰にもわからなかったでしょう。
僕の望みは、ただ抱きしめて「大丈夫だよ」といってもらうことでした。
…中略…
幸せな大人になれたのは、家族のおかげです。
僕が流した涙と同じくらい、家族も泣いてくれたことを、僕は忘れません。
東出さんとは違いますが、ぼくも適応障害という心の病気になりました。
期待に応えるために自分の弱さを否定していたんだと思います。
ぼくが苦しんでいたのと同じくらい、周りの人も苦しんでいたことを、ぼくも忘れません。
▼ぼくはこれで読みました。